悟りをひらかれた仏陀(お釈迦様)が、慈悲の心で説いた教えが仏教です。
仏教は悟りの智慧を説き、我々を導くために、国や時を超えて伝えられました。
慈悲の心は生死を慈しみ、生死の悲しみに共感する心です。
仏教の実践、慈悲を抱き智慧を求め、伝える行いを仏道といいます。
我々の人生は、我執によって損なわれると、仏陀は説きます。
我々は、五根(眼耳鼻舌身)の刺戟に、心の安定を奪われがちです。
五欲(食欲、睡眠欲、性欲、財産欲、名誉欲)などは、心を蝕みます。
貪瞋癡(むさぼり、いかり、おろか)の三毒は、猛火の様に心を冒します。
悟りを願うとは、前述のような心のとらわれからの解放を願うことです。
心のとらわれから解放されると、人生の真の喜びを感得します。
救いを求める我々の心は、仏の悟りを願う心です。
悟りを願う心は、善身を生きる全ての人間が持つべき心です。
利己心を抑え、他者を導く誓願の心を、菩提心と名づけます。
布施は、自分のものを他者に惜しみなく施す、菩提心の実践です。
花が咲くためには、水光熱養分などの環境(条件)が必要です。
布施とは、現在に感謝し、次代の環境に自己を廻らす事です。
布施は中国で檀那(ダーナ)を訳した言葉で、喜捨ともいいます。
喜捨とは、喜びを与え、苦しみを取り去ることを意味します。
また布施とは、布いて施す(行き渡らせる)ことを意味します。
布施には、法施と財施と無畏施(安心を施す)があります。
財施には、無財の七施(眼・和顔・言辞・身・心・牀座・房舎)を含みます。
親が子供を育てることは、身近で端的な布施行です。
仏の悟りを顕彰し、悟りを願う我々の心を顕すものが塔です。
さらに塔は仏を具現し、悟りを願う心を他者に伝えて導きます。
現実の地域に、仏の教えを保持し、伝えるための塔が寺院です。
供養は、仏(親)の慈悲心に応える、(子の)孝順心の顕れです。
寺院は、菩提心によって建立・維持され、仏道の道場となります。
お葬式は、送るのみならず、仏の弟子として、改めて心にお迎えする行持です。
仏弟子となった方の、他者を導く心を顕して立てた塔がお墓です。
法事は、実世間に、仏の智慧と悟りを願う心を共有する実践の場です。
仏壇は、仏弟子として祖先を迎えて、仏の教えを実践する家庭の道場です。
仏壇の本尊様は、家庭で最も尊重されるべき、悟りによる安心の象徴です。 |