私達は皆が仏の子であり、生まれながらに仏心を具えていると信じるべきです。しかしそれを教えられず、知らず気づかずに放逸な生活をしがちなのも私達です。放逸によってもたらされる苦しみや悩みが膨らむほどに、掛け替えのない人生を損なう事になります。お釈迦様は「放逸こそ死の小径」とされました。曹洞宗の教えの中心には坐禅があります。もちろん坐禅だけが仏教の修行ではありませんが、ひたすらに坐ることを基として、その坐りの心で日常生活を行うことが大切なのです。坐禅に親しむならば放逸な生き方が自ずと改まり、また周囲によって支えられている自分を観じる故に、他者のために働くことに喜びを見いだすようになります。坐禅を行うことは仏に帰依すること、そして仏に懺悔することでもあり、懺悔とは本来の自分に立ち返ることなのです。今、此処での命を本来のままに生かす、それが修行であり、また坐りと生活を一つとする、それが自らの行いをもって貴さを証明する生き方なのです。そこに生き甲斐と幸福を見いだしていくべきです。 |