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今生の間に

安身立命 普く自他を利するなり

この国、むかし過った。
世のため、人のためなりを、
限りをつけて考えた。
さらにお国のためなりと、
わたくし殺してに、
尽すばかりを強要す。

戦い止んで人々は、
国に尽すを後悔し、
なおさら大きな誤りの、
自分のためだと思いこむ。
教え受けずにつつしみを、
知らぬ人々溢れたり。

正しく持つべき考えは、
自ら貴さ損なわず、
世のため人のためなりと、
限りをつけず利すること。
二度ない命の我らなり。
欲を張らずに、我が侭せずに、
今生つつしみ調えん。


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生死に発願す

照第一天 発心修行菩提涅槃

生死正しく歩まんと、
道を求めて心を発こす。
己、未だに度らずも、
他者先ず度さん、営まん。
一切移ろう無常の中に、
いたずら任せぬ志念あり。
縁起諸法無我を知り、
共に生きるをつつしみて、
この世限りと限りをつけず、
に報いて私離る。
衆生を済う慈しみ
悲しみ憐れむ心あり。
他者の楽しみ我が喜悦
見返り求めぬ大捨なり。
只管坐り御法に住い、
無上の生死に導かん。


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御布施の向き

よくお檀中に尋ねられることがあります。
「お布施の向きはどちらですか」と。

「お布施」「御布施」「喜捨」「」「恩金」etc、要するに供養浄財であり、心をこめてお金などを包んだものです。名称の定義は省きますが、何れも施主の志しを表すものであり、またその行いは布施行となりますので、当地方ではほぼ「御布施」で通っております。

さて「向き」とは当仏の前に供えた場合です。法要後に包みを僧侶に渡す場合は、もちろん施主から見ては逆さまになるでしょう。それは「御祝儀」や「御見舞」などの包みと同じ、いわゆる常識です。もっともお坊さんのお経への「謝礼」などと考えるのであれば、疑問などあろう筈がありませんが。

迷うのは仏前への供え方のようです。

ここで学ぶべきこと、供養は当仏へ向けてであっても、当仏は一切衆生のための心があるということです。つまり「自分を通じて皆のため」です。一旦は預かれども、それを回らす心をお持ちなのです。これが「応供」の心。「応供」とは「供養を受けるに値する境涯」と説かれますが、要するに衆生済度の心があるが故に、供養に応じられるのです。もっとも曹洞宗では拝具授受作法として、直接の手渡しをせずに、仏前や床の間に供える作法がありますから、心得て学ぶべき事であります。

結論は「お布施は当仏に向ける」ということ。「貴方を通じて皆のため」です。そしてそれに当然、応じられる仏様なのです。僧侶はその皆のための心を承って預かり帰り、お寺運営に役立てるのです。もちろんお寺も「寺を通じて皆(社会)のため」です。それを弁えぬと「坊主丸儲け」などと、陰口が聞こえてきます。


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