延宝 6 年に古川の檢斷職日野氏が中心となり、当時の古川の南町、三日町、七日町、十日町、北町の 5 ヶ町と、新堀、中里、宮袋の 3 ヶ村の人々が、その檀施を行い奉納した様子が読み取れます。またお寺の鐘は、佛の限りない教えを一切衆生へと伝える行道器と唱われ、さらには瑞川寺は、伊達藩領内に於いて仙台市の輪王寺、石巻市の統禪寺、同じく仙台市の松音寺につづく系譜の寺院であり、瑞川寺の世代に名を残していない祖印雲悦和尚が現住(おそらく兼務住職)の時に奉納されたとあります。
なお、この旧鍾は太平洋戦争の末期、兵器製造の金属徴発に応じて、その姿を消しました。この銘文は供出直前に採った拓本から転記したものです。
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