菩薩としての再生と旅立ち
仏のいのちの生死なり。菩薩の三業、修証せん。
臨終その時、言葉は止まる。寺僧を請して、お剃刀。そして仏の経を誦す。それより口業の再生あらん。
お葬儀つとめて葬るも、供養のまことに姿を示す。その場に身業、再生見たり。
七七日に応供を学び、悲しみ聊か癒えんとす。一切導く旅へと立たん。その時、意業の再生成らん。