江戸初期の中興当時、瑞川寺はおそらく市内法橋川原の現別院付近にあったとされております。蓬莱庵は中興開基鈴木元信公の内室が、その墓所の側に菩提を弔うため落飾して隠棲した草庵に由来いたします。
昭和 55 年に古川市立古川第三小学校建設にあたり、金五輪霊園の移転が余儀なくされました。その際に瑞川寺の護持会と檀信徒の協力により、現在地に改葬移転し、御堂も改築されました。
市内大宮地区の鳥原霊園は耕地整理に係り、地区檀信徒の協力により整備されました。本尊の聖観世音菩薩について奉安時期は不詳ですが、毎年 4 月に例祭を修行して衆生の安寧を祈願いたします。
市内上古川の大奥防霊園。以前は引導場も建てられておりました。境内の一角には地蔵尊が迎えられております。
本院の霊園から北に 50 メートルほど、飛び地境内に太子堂は建立されております。聖徳太子を奉安した御堂は、平成 5 年に鞘堂に収められました。